恥ずかしいユニフォーム

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    ヘルパーステーションにて。

    ヘルパー1さんが落ち込んでいる。

    ヘルパー1 「今日、このユニフォームで帰らなきゃならない。

    これ着ているときに限って、知ってる人に会うんだよねー。」



    ヘルパーのユニフォームは、半そでポロシャツに紺かベージュのズボンである。

    ポロシャツの色は、年度始めに自分で選べる。

    ズボンは伸縮性があるので履きやすく、ポケットも大きいので便利。

    上下とも、洗ってもすぐ乾き、アイロンいらず。

    あおなは、このユニフォームが気に入っている。



    ヘルパー1 「冬はジャケット着て隠せたけど、今じゃそういうわけにもいかないし・・・。

    この前なんか、『体操教室行ってるの?』なんてたずねられちゃった・・・。」



    このユニフォームって、恥ずかしいのか・・・。

    あおなは、着やすいと思っているのに。

    あおなは、汚れたり、汗をかいたりしていなければ、家に帰ってもこのユニフォームのままである。

    近所へ買い物に行くのにも、このユニフォームで平気である。

    私服用にも、こんなのがほしいなと思っていたところだった。



    あおなのファッションの感覚って、ずれてるみたい。








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    まぶしくて目を閉じる

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      この記事は、2010/2/16の、申ももこさんのブログを参考にして書かせていただきました。


      子どものころ、フラッシュの付いたカメラは、写真館くらいでしか見たことがなかった。

      写真を撮るといえば、天気のいい日、太陽の方へ顔を向けて逆光にならないように、というのが鉄則だった。

      庭で、公園で、近所の幼なじみと、あおなはたくさん写真を撮ってもらっていた。

      一緒に写っている幼なじみは笑顔なのに、あおなはいつも顔をしかめている。

      太陽がまぶしくてしかたなかったのだ。

      写真館で写真を撮るときも同じで、フラッシュで目を閉じてしまう。

      よく、スーパーなどにある、セルフの証明写真を撮るときも大変だった。



      申ももこさんのブログを読んで、これが「感覚過敏」の一種なのだということがわかった。

      現在、デジタルカメラになって、明るさの調整もできるようになり、とてもありがたい。





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      お金を返してもらえない

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        この記事は、アスぺとうつのピゴナン日記。「友達にお金を貸すこと」(2011/05/20)を参考にさせていただいて書きました。

        ピゴナンさんの「お金を貸すこと」に対する考え方、すごいなと思います。

        あおなは、お金を貸す立場にはまだなれません。

        ピゴナンさんのような考え方は、まだできないから。



        高校に入った時、「エクソシスト」という映画がブームになっていた。

        入学したばかりで、まだ友人関係も確定していないころだ。

        いっしょにお弁当を食べている4人で、「エクソシスト」を見に行こうということになった。

        あおなを含めた3人で、前売り券を買いに行った。

        残りの1人Aさんは、帰る方向が違うので来なかった。

        映画館まで来て、今いないAさんの前売り券も買ってあげようということになった。

        あおなの高校は進学校。

        「勉強しかしてこなかった」ような生徒が多かった。

        あおなもその1人だった。

        3人とも、遊びなれていないので、こづかいもたいして持っていない。

        3人でお金を出し合い、もう1枚の前売り券を買った。



        あおなは、自己主張するのが苦手。

        翌日も、映画当日も、そして映画を見終わって何日たっても、あおなは前売り券のお金の三分の一は自分が出したということを言えずにいた。

        1週間くらいたったころのことだろうか。

        あおなは、やっとのことで、お金を返してもらわなくては、と決心した。

        お弁当を食べているとき、

        あおな (笑顔を作って)「Aさん、私、あなたにお金貸してるんだけど。」

        Aさん (激怒して) 「変なこと言わないでよ!

        お金なんて借りてないわよ!」



        Aさんのあまりの剣幕にびっくりして、あおなは次の言葉を失った。

        そのまま、何も言えず、前売り券の代金のことはうやむやになってしまった。

        一緒にお弁当を食べている人たちも、下を向いて、黙々と箸を動かしているだけだった。



        この時のことを思い出すと、とても悲しい。

        ・お金が返ってこなかったこと

        ・貸したのに、その事実を理解してもらえなかったこと

        ・周囲の人が誰も助け船を出してくれなかったこと

        この3つがショックだったのだ。



        また、あおなは両親や担任教諭に訴えるというすべも持っていなかった。



        困った立場にたったら、家族、教師、上司などに相談しよう!

        相談することは、ちっとも恥ずかしいことじゃないです!







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        まわりの人は、みんな意地悪

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          あおなは昨年(2010年)新聞記事をきっかけに、自分が発達障害なのではという疑いをもった。

          それから、「自閉症」、「アスペルガー」に関する書籍が目につくと読むようにしていた。

          しかし、あまり自分に当てはまると思える内容はなかった。

          多重人格ではないし、多動でも、パニックを起こすわけでもなかったから。

          何冊も読みあさった後、あおなは書籍にあまり期待しないようになっていた。

          「旦那(アキラ)さんはアスペルガー」も、あまり期待せずに手にした1冊だった。


          旦那(アキラ)さんはアスペルガー

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          ところが、その中にでてくる「アキラさん」は、性別その他小さい違いをのぞけば、あおなそっくりだった。

          あおなは、ほっとした。

          また、監修者の宮尾ドクターのコメントも身にしみた。

          宮尾ドクターには、一生会うことはないだろうが・・・。



          今までにあったいろいろなイヤな出来事。

          わけがわからなかった経験。



          あおなは、漠然と、

          「私のまわりの人は、みんな意地悪だな。」と思ってきた。

          でも、それは違っていた。

          優しい人、善意あふれる人は、たくさんいたに違いない。

          ただ、あおながそれに気付けなかっただけなのだろう。



          あおなは、必要な時に「怒れなかったり」、「自分の感情がわからなかったり」するけれど、それは生まれつきの特性ゆえなんだ!

          あおなに非があったわけではないんだ。





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          ほめられてむっとする

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            あおなの家では、あおな、あおなの両親、高校生の長女の4人で夕食を食べる。

            あおなは、料理の本を参考に、ていねいに食事を作るので、毎回好評だ。

            あおなの母は、あまり料理が得意ではなかった。

            現在は、母親は認知症になっている。



            母親 (食事しながら、)

            「あおなも、ずいぶん腕をあげたわねぇ。」

            あおな (いささか、むっとする。

            料理のプロにほめられるならうれしいが、料理のできない母にほめられても、うれしくない。)

            長女 「お母さん、ばかにされてるよ。」

            あおな 「・・・。」



            他人をほめるのは、「その人を評価する」こと。

            気軽に自分と対等の人、ましてや目上の人をほめないようにしよう。



            それにしても、高校生でこういう言語感覚を身につけている長女はすごい!

            いや、普通はこうなのだろうか?



            あおなは、最近、本を読んでこのことを知ったのだが・・・。





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            ダッシュで改札口をぬける

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              長男が赤ん坊のころのこと。

              あおなは、夫との結婚によって実家とは疎遠になっていた。

              しかし、実家の両親も孫はかわいがり、年に数回は孫の顔を見せに行っていた。

              年末から新年にかけて、長男を連れ、夫と2人であおなの実家に行くことになった。



              雪の降る、寒い日だった。

              夫は改札口のかなり遠くで車を止めた。

              夫 「ここで降りて歩け。」

              あおな 「もう少し近くまで行ってくれない?」

              夫 「ここまでしか、入れないんだよぅ。」



              あおなは、素直に夫の言葉を受け止めた。

              あおな (車を入れられないのじゃ仕方ないな。)

              両手で長男を抱いているので傘もさせない。

              あおなの肩に雪が降り積もった。

              車を降ろされた場所から改札口まで、あおなは不満も感じずに歩いた。

              夫は駐車場に車を置きに行った。

              改札口の真ん前にいたら、他の乗客のじゃまになる。

              あおなは、脇により、夫が来るのを待っていた。



              夫がやってきた。

              しかも、猛ダッシュで。

              夫はそのままダッシュで改札口を抜け、ホームの方へ走り去った。

              (切符はあらかじめ買ってあったのだ。)

              あおなは、赤ん坊を抱き、ぼうぜんと立っていた。

              切符も、財布も、夫の持ったバッグの中なので、改札口から入ることもできない。



              それよりも、走り去った夫の様子が異様だった。

              寒いのに、夫はうっすら汗を浮かべ、悪いことをしたかのような表情をしていた。

              まるで、あおなが怒って当然のことをしたように・・・。



              「ここまでしか、入れないんだよぅ。」といった夫の言葉はウソだったのか?

              あおなは、夫によって、雪の中、赤ん坊を抱いて何百メートルも歩かされたのか?



              あおなには、そのときもわからなかったし、正直言うと、今もわからない。






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              事故頻発児

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                去年(2010年)、あおなは保育士試験を受けるための勉強をしていた。

                参考書の中に、「事故頻発児」という言葉があった。

                幼児期、何度も事故を起こす子どもをいうそうだ。

                落ち着きがなく、ちょろちょろしている子どものことだろう。

                「事故誘発児」という言葉もあった。

                仲のいい周囲の子どもが、しばしば事故に遭いやすい子どもというのがいるのだそうだ。

                この2つのことばを知って、ぞっとした。



                あおなの夫は、「事故頻発成人」である。

                大きい自動車事故は2回、小さい事故はそれこそ覚えきれぬくらい起こしている。

                飲酒をして戻ってきたら、自動車が家にめり込んでいたこともある。




                「事故誘発成人」でもあるのではないかと思う。



                あおなの二男が乳児のころのことだ。

                当時、あおなは夫の実家の2階に住んでいた。

                夫とあおなの間には、会話がなく、あおなは孤独だった。

                さびしさからつい、アルバムに手を伸ばした。

                過去の写真を見て、心を慰めようとしたのだ。

                赤ちゃんである二男から目を離してしまった。

                そのすきに、はいはいをしていた二男は階段から転がり落ちてしまった。

                幸い、まだ小さくて軽かったこともあり、大事には至らなかったが・・・。



                もちろん悪いのは、二男から目を離したあおなだ。

                だが、実家から遠く離れた地で、子育てをしなければならなかったあおな。

                友だちもなく、ほっと一息つける場所もなかった。

                そんなあおなを、夫は無視し、そうでなければ暴言を浴びせた。

                状況は、あおなにとって過酷すぎた。



                長女がよちよち歩きのときのこと。

                年末で、大掃除をしていた。

                そばで長女は遊んでいた。

                夫も掃除をすると口では言ったが、実際にはやらなかった。

                1人だけ、テレビを見ていたような気がする。

                あおなはいらいらした。

                そして、

                「そうじすると言ったでしょ。」と言いに夫のいる部屋へ行った。

                その一瞬のことだ。

                階段を昇ろうとした長女が、落ちて顔面をうったのだ。

                眉毛の部分が切れ、縫わねばならないケガをしていた。

                もう大みそかだったので、休日緊急医に行かねばならなかった。



                (子どもを最優先に考えよう。

                それには、母である私も平穏な心でいなければ・・・。

                夫に期待するのはやめよう。

                期待しても、裏切られるだけだ。)

                あおなは、こんなふうに考えるようになっていた。



                「事故誘発成人」である夫から、自分と子どもを守ろう!

                まるで、シングル・マザーのような考え方だ。







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                ため息をつかれる

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                  非常勤講師をしていた時、教員仲間のメーリングリストに入っていた。

                  悩みを持つ教員が、他の教員に相談したり、研修会の知らせが流れたりするものだった。



                  ある日、一人の女性の中学教員が、学校での悩みを書いてきた。

                  正確には覚えていないが、以下のような内容だった。

                  「ろうかにだらしなく座っている男子生徒たちに注意した。

                  生徒たちは姿勢を正すどころか、わざとらしくため息をついた。

                  自分の指導力のなさに、自信をなくしている。」

                  ろうかに座り込む男子たち。通りかかった教員が声をかける。

                  「ろうかは座るところじゃないよ。教室に戻ろう。」

                  座り込んだまま、そっぽをむき、

                  「はーっ。」というような声を出す生徒。

                  これは、「お前の言うことなんかには従わねえよ。」ということだろう。

                  荒れた中学校での指導に苦労している教員の姿が浮かんでくる。



                  私は、「ため息をつかれた」ことを、ここまで気にしていることの方が驚きだった。

                  というのは、私は毎日のように夫に「ため息をつかれて」いたからだ。



                  私と夫とは、コミニュケーションがほとんどなかった。

                  夫は、生活費は入れてくれたが、家庭の中で男性や父親が分担するだろうと思えることはまったくやらなかった。

                  仕事が忙しかったわけではない。

                  夫は在宅時はいつも、布団を敷いて寝ていた。

                  私が話しかけると、

                  「あーあ。」といやそうにため息をつき、顔をそむけるのだった。



                  他人の表情を読むのを苦手な私にも、夫が話をしたくないことはわかった。

                  だから、少年野球チームのつき添いも、庭木の剪定も私が自分でやっていた。

                  野球チームのつき添いは、私以外全員父親だった。

                  父親たちはみんな優しく、私には、

                  「ご主人、日曜も仕事なの? たいへんだね。」といってくれた。

                  「主人は家で寝てます。」

                  とは、恥ずかしくて言えない。

                  「忙しい人なんですよ。来られなくてすみません。」

                  と私は、笑顔で答えていた。



                  「ため息をつかれる。」というメールを読むまで、私は気づかなかった。

                  「ため息をつく」というのは、「今は話したくありません。」ということではないのだ。

                  話しかけた人を、ばかにすることなのだ。








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                  「はい。」と答えることしかできない

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                    長女が小学生の時のことである。

                    小学生がわいせつ目的で誘拐されたり、殺されたりする事件が頻発した。

                    それに対応するため、小学校で、外部講師による子ども向けの「安全教室」があった。

                    保護者も参観できるので、あおなも見学に行った。



                    講師が不審者役を演じ、

                    「声をかけられる子ども役をやりたい人?」

                    という呼びかけに挙手した児童が、子ども役になった。

                    活発そうな男児だった。



                    「〜へ行く道がわからなくて、困ってるの。

                    道を教えてくれない?」

                    と話しかける講師に、男児は、

                    「いやだ。」

                    と応じていた。

                    講師が近寄ろうとすると、男児はさっと離れた。

                    講師は、

                    「不審者の腕の届く範囲に入ると、体をつかまれ、逃げられなくなってしまいます。

                    1メートル以内には、決して近づかないように。」

                    と解説を加えた。



                    あおなは男児の行動に驚嘆していた。

                    「いやだ。」なんて言葉を、あおなは使ったことがあったろうか?

                    「困ってるの。助けてくれない?」

                    と言われたら、あおなは、

                    「はい。」と答えることしかできない。

                    たぶん、52歳になる今でも・・・。










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                    プライベート・ゾーン

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                      あおなには子どもが3人いる。

                      上二人は男の子だが、3人目は女の子だった。



                      生まれたのが女の子だとわかったとき、あおなはとても不安になった。

                      小学生の時、性暴力を受けていた自分。

                      窮状を訴えるすべを持たなかった自分。

                      こんな自分に女の子が育てられるのか?

                      自分と同じように、「助けて!」と言えない子どもを育ててしまうのではないか?



                      その長女が小学生の時である。

                      授業参観があった。

                      性教育の授業だった。

                      授業が進み、スクール水着姿の男児と女児のイラストが黒板に貼られた。

                      教師は、おおよそ次のようなことを話した。

                      「みなさんの口と、水着に覆われた部分を、プライベート・ゾーンといいます。

                      プライベート・ゾーンは、人に見せてもさわらせてもいけません。

                      また、ほかの人のプライベート・ゾーンを見たりさわったりしてもいけません。」



                      授業が終わると、今教わったことが気恥ずかしかったのか、

                      「プライベート・ゾーン!」

                      と大声を出して、ふざけあっている子もいた。

                      でも、あおなの心には、大きな安堵感が広がっていた。

                      30年の間に、性教育は大きく変わっていたのだ。



                      もし、小学生の時に、プライベート・ゾーンのことを教師から教わっていたら、あおなは性犯罪の犠牲になることはなかったろう。

                      あおなは決まりをきちんと守る子どもだったから・・・。









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